法皇パウルス3世とその甥たち?


 

 

 

すーさんご指摘のティッツィアーノ作「パウルス3世とその甥たち」(ナポリ・カポディモンティ美術館蔵)に描かれている法皇の甥が、イタリアの名門サッカークラブ・ユヴェントスのマルク・ユリアーノ(左カラー)にそっくり。生まれ変わり?

パウルス3世は本名アレッサンドロ・ファルネーゼ(1468年生まれ)。傭兵隊の家系に生まれ、叙階前に自堕落な生活を送り、4人の庶子をもうけるが、1513年には改心し、1519年に司祭に叙階される。66歳の1543年に法皇に選任され、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」の完成を命ずる。

この法皇の選任時にはアルプスの北ではすでにルターによる新教が勢力を伸ばし、またイングランド国王ヘンリー8世の離婚に伴う破門により、イングランド教会のローマ教会からの分離が決定的となった。
このようなカトリック教会の危機の時代、パウルス3世はトレントに公会議を開き、反宗教改革運動によってローマ教会は自らを改革することになった。

しかし改革は進んだものの、極端な身内びいきは依然としてカトリック教会内を支配していた。パウルス3世は14歳と16歳の二人の孫を枢機卿に任命したほか、機会あるごとにファルネーゼ家の人間を取り立てていった。ティツィアーノが描いたのはそんな身内びいきの法皇の姿、のはず。
1549年、81歳で熱病がもとで死去。