フィリップ美男王子


 

 

以前、掲示板で話題になったフィリップ美男王子の肖像画です。ゆずるさんが絵はがきからご提供してくださいました。

ゆずるさんによる解説

フィリップ美公(フィリップ・ル・ボー、ボー・プランス(美王子)) 神聖ローマ皇帝マクシミリアンと、ブルゴーニュ公シャルル突進公の娘マリアとの 間に生まれる。妹に後のネーデルランド総督マルガレーテがいる。 母がブルゴーニュ公の唯一の相続人だったため、母の死後4歳でブルゴーニュを相続する。 スペイン王女ファナと結婚(この時、同時に妹のマルガレーテもファナの兄弟のスペイン 王子ファンと結婚。のち死別)後の皇帝カール5世他、二男四女を生す。 カスティーリャ女王イサベルの死後、イサベルの娘である妻ファナがカスティーリャの王位に 就くが、精神錯乱での行政不可能を理由に自ら王位に就き、カスティーリャ王フェリペ1世を 名乗るが、まもなく28歳で死去。 (当時のスペインはアラゴンとカスティーリャの連合王国で、アラゴンはイサベルの夫  フェルナンド王が存命中だった)

晋衛門さんによる解説

引用は「中世最後の騎士マクシミリアン」と「カルロス1世の旅」です。
・フィリップ美麗公
1478年6月22日、ブルゴーニュ公国にてマクシミリアンとマリアの子として誕生。曽祖父フィリップ善良公の名にあやかって名付けられる。将来のブルゴーニュ公主として甘やかし放題に育てられたらしい。将来が約束され、しかも幼い頃から容姿端麗だったのでますますちやほやされた。
長じても父マクシミリアンにとって同じ娘のネーデルラント総督マルガレーテとは正反対の「不肖の息子」で、スペイン王女ファナと結婚して子供をもうけたまではよかったが、優男の彼は愛人を作っては激情な妻の嫉妬にあって夫婦仲は次第に最悪になっていくとのと同時に後継者が次々に死に絶えたスペインのフェルディナントとの仲も悪くなっていく。
やがて二人はカスティリア王国の統治権を巡って争い、1506年6月、ビヤファビラの和約でカスティリア、レオン、グラナダ王国を獲得できたが、故郷ブルゴーニュでも佞臣に翻弄される無能で決断力を欠き、猜疑心の強いこの主を前に支持していたスペイン貴族も離れて行った。
やがて虚弱体質な上に心労が重なり、カスティリア北東部の古都ブルゴスに滞在中、冷水を一杯飲んだその夜に高熱をだして倒れ、数週間後の1506年9月25日に息を引き取った。享年28歳3ヵ月。

ちゃおちゃお的おまけ

奥さんはスペインを統一したカスティーリャ王国のイザベル女王とアラゴン王国のフェルディナンド王の次女、ファナです。フランドルに嫁いでから一年もたたないうちにカルチャー・ショックと夫フィリップ公の派手な女性関係に悩み、鬱病になり、ついには発狂してしまいます。
カスティーリャ王国はイザベラ女王の死後ファナ・ラ・ロカ(狂女ファナ)のものとなったので、野心家のフィリップ公はカスティーリャに乗り込み勝手にカスティーリャ王を名乗っていましたが、毒殺ではないかというほどあっけなく突然死してしまいます。
その後ファナは棺と共にカスティーリャの野を3年間さまよい歩き、随時棺を開けて自らの手で夫の遺体をくまなく点検するのを日課としていました。
結局ファナは父フェルナンド王の指図で荒野の修道院の高い塔に連れてこられ、そこに幽閉されたまま、その後46年間も生き延びます。
ファナの長男カルロス1世は神聖ローマ帝国皇帝も兼ねており、大航海時代をむかえたスペインは、その歴史上最も華やかな時代でした。しかし、その真の統治者は塔に幽閉されていたファナだったという、なんとも歴史の暗部を実感させられるお話です。

この肖像画の印象としては「美男」というより、なんともぬら〜っとした醤油顔(古っ)であるということと、ハプスブルグのしゃくれ顎ではないことがちょっと意外と思うちゃおちゃおです。